原液ドロドロ系が通ります

宮城・仙台
ライター
KIROKU vol.10
佐藤綾香

 

ジブン不器用ですから、と堂々と言える高倉健がうらやましい。

 

「右に行け」と言われればナナメ左上に行き、「左に行け」と言われれば今度はナナメ右下に行きたくなってしまう性を持つ身としては、「ジブン不器用ですから」と公言できるのはある種、建前と要領が必要な社会で自らが生き抜くためのうまい処世術だとおもってしまうのだ。

 

 

不器用だという自覚は、ある。

 

伝えたいことがあったとしても、ふさわしい言葉が出てこなくて考え込んで相手の懐の広さに甘えちゃったなとか、反対にわたしのストレートな物言いで傷つけちゃったかもしれないなとか、そういう反省を日々繰り返している。

 

自分自身の気持ちを的確に伝えられる言葉を持っていて、それを瞬時に使える頭の回転のはやさがあって、相手に自分の想いを寸分の狂いなく伝えられたのならどんなにうれしいだろう。

 

ほんとうの気持ちの機微を、相手に十分に伝えられている自信はこれっぽっちもない。

 

わたしが不器用な人間だとわかっているひとは、表情や仕草、声色、無言の間などの非言語から言葉の意味を汲んでくれているが、すべてのひとがそれをするのは難しい。

 

しかし「不器用」を自分から盾にしてしまうのは、もしかしたら自分の欠点や悪い癖が出たとしても「だからぜんぶ許せよ」とコミュニケーションをとる相手に乱暴な免罪符を出している面もあるのではないか、そう考えると自分から「不器用ですから」と安易にバリアを張ることもできずにいる。

 

 

つい先日、紅葉が広がる穏やかな湖でカヌー体験をしてきた。

 

人一倍好奇心の強いわたしは、先にカヌー体験をした友人の軽い誘いにキャイキャイと喜んで軽くついていったのだ。

 

2人乗りのカヌーを好きなように操るには、右、左、右、左、とパートナーと気持ちを合わせて前に後ろに漕いでいかなければならない。

 

ところが、チームプレーが苦手なわたしと友人は各々が好きなように右、左、右、左、と漕いでいく。

 

同じタイミングで体験しているひとたちは「イチニ、イチニ」「ミギ、ヒダリ、ミギ、ヒダリ」と声を掛け合っているのに、わたしたちは「レッツゴ〜」とはしゃぐばかりだ。

 

みんなはスイスイとまっすぐ順調に進むなか、こちらはジグザグとナナメに進んでは修正してのループ状態。

 

わたしに至っては、「右」と言われているのに左を目指したり、「左のパドルを使ってターンしろ」と言われているのになぜか右のパドルを使ったりなど、ゴーイングマイウェイにもほどがある有様だった。

 

たまに「右」を「左」、「左」を「右」だと思い込むときがあって、そのたびに車の運転中にナビをしてくれる相手に驚かれ大笑いされることがある。

 

そのどうしようもないバグがカヌー体験でも出現し、さらに個のことしか考えていないので初めこそほかの体験者から遅れをとったが、不思議と最後には息が合ってきてゴールしたのは1番だった。

 

ドタバタ劇を繰り広げてしまったカヌー体験はすごく楽しかったし、気持ちよかったし、1番上達しただろうし、結果オーライである。

 

 

 

後日、信頼するひととあれこれ話していたら「自分の伝えたい内容や想いを広げることに限界を感じている」と相談するはずではなかった悩みがぽろっと漏れ出てしまった。

 

「不特定多数に広めたいのなら、想いの原液を薄めたほうがいい」と彼は答える。

「原液ドロドロのままだと、相手には濃すぎるから拒否反応がでちゃって伝えられるものも伝わらなくなっちゃう」 「軽いユーモアを交えつつ、時々は原液を濃くして伝えるくらい」 「ピエロになるといいよ」、と。

 

なるほど、と思いつつも自分にそれをやり通せる度量があるのかという不安が頭をよぎった。

 

でも、と彼は笑って続ける。

 

「苦手そうだよね」

 

このひとにはバレている。

すべてを見透かした彼の言葉に、わたしは大笑いするしかなかった。

 

再び彼は、でも、と続ける。

 

「ピエロになれない、そういう原液のままやり続けるしかない不器用なひともいいとおもうんだよね。理解してくれるひとがすくなかろうと、もうさ、原液ドロドロがいいよ」

 

 

言葉は、やはりすごい。

「原液ドロドロがいいよ」と耳にしたとたん、背中がふっと軽くなった感じがした。

 

たしかに原液ドロドロな自分を理解してくれるひとはすくないけれど、そのぶん理解してくれるひとが現れたときは仲良くなるスピードがとてもはやく、信頼の深度もぐんと高くなる。

 

なんだか、あのときのカヌー体験みたいだ、とおもった。

ジグザグに重々しく進んではいるけれど、いつの間にか息が合ってうまく事が運んでいる。

「不器用ですから」と先手を打たなくても成り立つコミュニケーションがあるのだ。

 

 

でも、原液ドロドロなせいでこれから先も誰かを傷つけるかもしれない。

誰かを傷つけたくなくても、だ。

だからこそ、相手を尊重する誠意は忘れたくない。

不器用だとしても相手への思いやりは大切に、原液ドロドロな人間なりに礼儀は重んじよう。

 

 

みなさん、原液を薄められなくてごめんなさい。

そしていつもありがとうございます。

原液ドロドロ系でしか生きられそうにありません、わたしは。

ご迷惑おかけしますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

それでは失礼して、原液ドロドロ系のままで闊歩させていただきます。

 

 

 

プロフィール
ライター
佐藤綾香
1992年生まれ、宮城県出身。ライター。夜型人間。いちばん好きな食べ物はピザです。

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