高度14,000フィート、Mr.クレイジーとの思い出
そういえばわたしは、スカイダイビングのためにオーストラリアのケアンズへ向かったことがある。
大量に膨れあがった書類の整理をしていたら約10年前のスカイダイビング体験を記念する証明書が出現した。
思いのほか懐かしい気持ちにさせられたので、今回は当時の話をしようとおもう。
ケアンズに行くことになったのは「スカイダイビングをしにオーストラリアに行きたいんだけど、一緒にどう?」という学生時代の友人の誘いがきっかけだった。
上京したてでハタチそこそこの大学生だったわたしは、何よりも新鮮な経験に飢えていた。
しかもスカイダイビングに対しては「詰まるところ空から落ちるだけだろう」としか考えていなかったのだ。
若さゆえの無鉄砲さは迷いなく前進する様が力強く美しいけれど、ときに危うく恐ろしい。
ケアンズには、たしか3〜4泊くらいしたとおもう。
もう10年以上も前なので記憶には自信がない。
だからスカイダイビング体験もうろ覚えなのだが、あの“Mr.クレイジー”とのひとときはよく覚えている。
スカイダイビング当日、まずは体験予約をしたお店の受付窓口へ向かった。
そこでスカイダイビングの流れや注意点などのレクチャーを受けてから、他の参加者たちと1台の大きなバンに乗るように案内され、いよいよ体験の地へ移動する。
わたしたちが予約したスカイダイビングは、上空からケアンズの美しく輝く真っ青な海を一望し、白いビーチに着地する贅沢なプラン。
そのため、街中からヘリが用意されている海岸付近までの車移動が必須だった。
バンの中か、それとも受付のときだったか、記憶が定かではないが、やはり体験といえどスカイダイビングとあって免責同意書にサインを求められる。
“もし自分が死んでもあなた方の会社に責任を問いません”
そういう文言を目にしても、わたしはまだ「はいよッ」といった軽い感じで自分の名前を書面に残した。
ちなみに、わたしたちが体験したスカイダイビングは、高度14,000ftから落下するプランだった。
14,000ftはメートル法に換算すると約4,270mで、日本ではスカイダイビングが制限されている高さらしい。
単純に考えてみれば、標高3,776mの富士山よりも高いところから飛び降りることになる。
わたしがやっと恐怖心を覚えたのは、ヘリが上空14,000ftに到達してから。
「あ、間違いなく、すごく高いところだ」と理解したときには、すでに陽気なインストラクターにしっかりとつながれていた。
そのつながれ方は、インストラクターのお腹側の胴体にわたしの身体がくくりつけられるもので(ちょっとだけカンガルーの子どもになった感じがした)、彼の動きに従うしかない状態である。
インストラクターはわたしが怖がっていることに気づいたのか、「大丈夫?」とやさしく話しかける。
本音で答えていいのなら、「めちゃくちゃ帰りたいです」だ。
でも、もうここまできたんだからと強がって答えたわたしの「大丈夫!」を聞いてグッドサインを出しながら「イエ〜〜イ!」とテンションのボルテージをまた一段と上げたインストラクターにすべてを委ねることにした。
はやく帰りてぇな、と怖気付いているのも束の間。
インストラクターは高度14,000ftで大きく開いたヘリのドアに向かって、自由を奪われたわたしの身体もろとも確実に前へ前へジリジリ動かしていく。
そうしてついにわたしはヘリから飛び降りる。
「3・2・1…… フゥ〜〜〜!」
このときほど、陽気なひとをすきになったことはない。
未知の恐怖に出合ってしまったときは、底なしの陽気さに助けられることもあるのだ。
いざ飛び降りてみると、あれだけ怖かったのにケアンズの海や空がつくりだす美しいコントラストにいたく感動している自分がいた。
インストラクターは、飛び降りてもなお「フゥ〜〜〜!」を連発している。
ある程度落下したところで、インストラクターがパラシュートを開く。
おかげさまで優雅に景色を楽しめるようになってから「すごい!」「きれい!」「すごくいい気分!」という言葉が自然とでてきた。
しかしこれが、インストラクターの “クレイジー”に火をつけてしまう。
「すごい!」「きれい!」「すごくいい気分!」と聞いて気をよくしたのか、インストラクターは「こんなこともできるよ!」となぜかパラシュートをさらに技巧的に操作しはじめた。
パラシュートは左右交互に大きく揺れるようになり、最初のうちは楽しんでいたけれど、気づいたらわたしは酔っていた。
「You are crazy」
酔ったわたしの口からこの言葉を耳にしたインストラクターは「まだまだだよ!」と謙遜して、大きく揺らすような操作をやめることはなかった。
無事に美しいビーチに降り立ち、Mr.クレイジーはわたしにハイタッチを求めた。
きれいなブルーアイをキラキラさせ、テンションは最高潮のMr.クレイジー。
そんな純真無垢な存在から放たれる「ちょーたのしかったね!グッジョブ!」には逆らえない。
わたしはMr.クレイジーのために酔っていることを隠し、「ありがとう!」と笑顔でハイタッチした。
ところがMr.クレイジーのスキル酔いをしたわたしには、さらなる試練が待ち受けていた。
決して乗り心地がいいとは言えない大きなバンにふたたび乗って、今度は帰らなければならない。
そう、Mr.クレイジーのスキル酔いと乗り物酔いのダブルパンチに耐えなければならなかったのだ。
聞けば、友人はインストラクターによるパラシュートの操作スキルはこれといって披露されなかったようで、帰りのバンでは他の参加者と和気あいあいと体験後の感想をシェアしたり、お互いの国の文化について話したり、とてもたのしそうにしていた。
ありがたいことに中国人の女の子がこちらにも話を振ってくれるのだが、わたしはとてつもなく酔っていて、申し訳ないけれど会話をたのしむどころではないので愛想がない返答ばかり。
一緒にいた友人が「酔っちゃったみたいで」とフォローすると、中国人の女の子は「そうだったんだ、ごめんね」とわたしに謝った。
こちらこそ申し訳ない、ほんとうはもっといろいろ話したいんだけど、と伝えたいのは山々なのだけれど、とても答えられるテンションではない。
そんなわたしがいま持てるだけの力の限りを振り絞って出せたのは、ガタガタ走るバンの音にかき消されてしまうほどか細い「ソーリー」だけだった。
ケアンズのMr.クレイジーにつながる思い出の品が、約10年ぶりに現れたのはなにか理由がありそうだ。
だからといってもう、オーストラリアに行ってまでスカイダイビングをする気にはならないけれど。