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犬死にせしもの
犬死にせしものの記事一覧
2021.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.43
映画監督 井筒 和幸
「自分の映画を作っていこう。そうしないと自分の心が、自分の思想がどこにあるのかも分からなくなる。80年代の撮影所システムで学んだことだった。」
『犬死にせしもの』は1986年の4月半ばに封切られたが、スマッシュヒットにもならず、とても残念だった。でもボクはもう当分、メジャー映画は撮りたくないとも思った。
2021.10.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.42
映画監督 井筒 和幸
「こんなのは、ミゾ(溝口)さんだけちゃうよ、誰でもリアリズム。昔から京都のシャシン(映画)はリアリズム」と言われた。日本のリアリズムは京都だったんだと思い知らされた。
もう当分、海面は見たくなかった。1986年の1月終わり、「犬死にせしもの」(なんと古風でいいタイトルだろ…)のロケは、年を越してしまい、海上の撮影はラストシーク
2021.09.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.41
映画監督 井筒 和幸
ストーリーや銃器アクション、海上でのキャメラワークにこだわったニューシネマを撮りたかった。ボクには「映画こそ命」だった。瀬戸内の海で朝、昼、夜なく、キャメラを回した。
勝新太郎さんの奥方の中村玉緒さんも、海賊の真田広之の母親役で参加してくれた『犬死にせしもの』。海の上での撮影は困難を極め、船酔いしている暇さえなかった。長さ10
2021.08.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.40
映画監督 井筒 和幸
べタな娯楽モノしか作らない邦画界の横っ面を張り飛ばしてやりたいとボクの血も騒いでいた。「海賊でもやって一旗揚げて、…どうせおまえもわしも一遍も二遍も死に損ねた身体じゃ」という原作の一節はボクの気分を代弁していた。
京都の大映撮影所は今、その跡影もない。『新・悪名』で台詞を喋りながらカレーライスを10カットの間に完食してしまう勝新太郎や、相棒の田宮二郎の名コンビを生み、『眠
2021.06.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.38
映画監督 井筒 和幸
「なぜ、京都の撮影所に行ったか?それは旋風を起こし、映画のスタイルを変えたかったからだ。そして、大部屋俳優たちがボクの仕事を助けてくれた。」
京都はテレビ時代劇の撮影が多いので、有名俳優たちも撮影所内の大食堂で今日のランチを食べて歓談していた。こっちはまだ32歳の新米。京都東映に外部からそんな若いカン
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